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もっと知られてよい人たち

 世の中というものはおもしろいもので、もっと知られてしかるべき人なのでは……と思うような人がたくさんいる。それも人知れぬ人里はなれたところにひそやかに住んでいたりすると一層その思いを強く感じたりする。

 世の中には俗に言う「出世したくてしょうがない」「人前に出たくてしょうがない」という自己顕示欲や権力欲の強い人がいるが、概してそういう人はいっとき知られるようなことになってもあまり息は長くないことが多い。

 芸能界などというところは「出たい人」と「出して一儲けしたい人」のそうした欲望をうまく満たしながら、人の目先を変えて刺激を与え利用して成り立っているようなところがある。

 反面、わたしのように「世に出られない理由は分っているから無理してでも出たいという気持ちも焦りもない。知る人ぞ知る存在だから。イザヤの預言を解するものなれば……」などと呟いているおめでたい輩もそんなのは「負け惜しみ」と思われるのが関の山だから、その通り世に出ることもない。

 しかし、公平に見て、しかるべき内容ある成果を伴っていながらあまり世に知られていない人、とりわけ創造的なことに勤しんでいる方は世の中には確実に存在しており、そうした方などを偶然知ったりするとやはり、気持ちの上で応援したくなるものだ。狭いわたしの知る範囲の中にも、そしてこの鋸南の町に住み始めてから初めて知り合った人にもそういう方がいらっしゃる。

 ご本人の承諾を得ていないからここでは実名を挙げずにイニシャルに留めておくが、漱石や子規の研究をここまでずっと続けてこられているH.S先生もその一人だ。地道に漱石の房州紀行の足取りを辿り、漱石の作品の中にある場所を検証したり、子規と漱石の関係をこの鋸南滞在体験を介して分りやすく説明したり、その研究成果は地方新聞への開陳にとどまらずにもっと日本中に知られて良いものだと思う。出版社は何をしているのだろう?!眼はどこについているの?という思いである。

 もちろん漱石研究者たちの間ではしかるべき評価を得ていることとは思うが、漱石の作家への出発点となったとも言いうる房総紀行体験の意味を明らかにしているS先生の業績はもっともっとみんなに知られて良いと思う。(知らぬはおまえだけというのなら良いが……)

 実はこれは一例に過ぎない。鋸南の町にはもっとその存在を知られてしかるべき芸術家がいる。その方についてはまた別の機会に触れよう。
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